交流を持つことからの発展

栃の心関の記事から

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栃の心関が毎年合宿をしている入間市で、障害をお持ちの方と交流されているお話。

 

秀峻さんという方は、毎年合宿の見学に訪れて、栃の心関が所属する春日野部屋の力士らと交流をされているらしいです。

 

毎年、というと、おそらく一年に一度ではあったでしょう。でも、栃の心関は、今年の10月に秀峻さんが入院中で、見学に来られなかった時でも、病院に見舞いに訪れて激励されていたそう。

 

秀峻さんは当時、抗がん剤治療で苦しんでいたが、栃ノ心関の見舞いを受けて前向きに治療に取り組み、医師や看護師らにもうれしそうに栃ノ心関の話をするようになった。家族も秀峻さんの気持ちの変化に「救われた思い」と話していたという。

 

一年に一度どいうと、そう頻繁であるわけではない。でも、この交流は秀峻さんが小学生時代からのことだそうで、そう考えると大体15年くらいかな。

 

 

秀峻さんは、どんな気持ちで毎年春日野部屋を訪れていたのかなんて考えます。きっかけは、たまたま春日野部屋が近くに合宿に来ているから、ということかもしれない。でも毎年訪れている、つまり続けてやっていることって、「今年もそんな季節が来たな、楽しみだな」なんて思うような気がする。自分については、今のところそういうのはないから。

 

そしてそれが人との交流であったこと。会う機会は一年に一度であっても、励まされ、勇気をもらえたという、交流が起こしえる一番良い例だと思う。

 

どんな人とでも交流しておく必要はないけれども、人との繋がりを作っておくことが、人生において大きな意味を持つことはあるのだと思った。自分から繋がりを切っておく必要は全くもって、ない。