新雅史の文章から

『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』より 

 

 バブル以降に財政投融資の額が大幅に増えた理由は、景気回復と貿易黒字解消という二つの目的であったが、本書の観点で重要なのは、バブル以降に、地方に財政投融資がばらまかれることになった点である。地方に財政投融資がばらまかれることによって、中心街からかけ離れた場所に国道アクセス道路が数多く造られた。一九九〇年代からひろがるショッピングモールは、財政投融資がばらまかれた国道アクセス道路沿いに数多く建設された。

 

 

新雅史『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』(光文社、2012年)168ページ。

 

 

 

 

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

 

 

竹森俊平の文章から

『1997年―世界を変えた金融危機』より 

 

 ナイトがここで明らかにしているのは、「経済自由主義」の短所ばかりではない。標準的な経済学の短所というか、その限界も同時に明らかにしている。つまり、標準的な経済学は、「目新しい現象」、より正確に言えば「過去に類似のことが起こっていない現象」について、ほとんど論ずることができない。たとえば、その現象が社会にとって望ましいかどうかといった判定さえ不可能なのである。その理由は簡単で、客観的な確率分布も分からないものが成功するか失敗するか、学問的な判断はできないからである。

 しかるに、現代は「目新しい現象」に満ちている。「IT革命」、「M&Aブーム」、「エマージング・マーケット」。いずれの出来事についても、確率分布の想定を可能にするほどのデータの蓄積はない。実際、「ニュー・ビジネス」、「企業買収」、「新興工業国」を売り物にするファンドは、「目新しさ」を強調する。目新しいからこそ大きな収益が見込めるというのである。しかし目新しいなら、ナイトの意味での「不確実性」がそこには存在する。そうだとすれば、客観的成功確率に鑑みて、そのような投資が成功するか、あるいは望ましいかといった経済学的判断は下せない。

 

 

竹森俊平『1997年―世界を変えた金融危機』(朝日新聞出版、2007年)102ページ。

 

 

 

 

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

 

 

井上薫の文章から

『ここがおかしい、外国人参政権』より

 

 日本国憲法が昭和二二年に制定されてから早六三年が過ぎましたが、この間、一度も改正されていません。憲法改正には厳重な手続きが定められていて、政治的にもこの条件を満たすような環境がこれまでなかったからです。衆議院参議院という二院制を採っていますから、両方とも総議員の三分の二以上の賛成を得るとなると政治的ハードルは、かなり高くなります。そう考えると、外国人に参政権を付与することは、政治的に困難ではあるでしょうが、手続き的には可能なのです。

 手続き上の問題がクリアできたら、その次は外国人に参政権を付与することの妥当性が問題になります。

 これまで推進派の大義名分としては、「共生社会を作る」、つまり「外国人も日本人も一緒の地域社会を作っていく」という考え方や、外国人差別をやめようという考え方があがりました。そしてより実態的な面としては在日外国人の多数を占める在日朝鮮人への同情などが、参政権付与の妥当性を基礎づける事情として主張されることもあります。

 ただ、外国人参政権を付与するためには、憲法改正という非常に困難な手続きが必要だとわかりました。これらの大義名分や諸事情は、そのような困難を押し切ってまでなお、参政権を付与するほどのものでしょうか? そもそもその段階で、私には疑問が生じてきます。

 

 

井上薫『ここがおかしい、外国人参政権』(文藝春秋、2010年)173~174ページ。

 

 

 

 

ここがおかしい、外国人参政権 (文春新書)

ここがおかしい、外国人参政権 (文春新書)

 

 

中村尚司の文章から

『人びとのアジア』より

  

 欧米諸国では、身分登録の単位が「イエ(家族)」ではなく個人である。それぞれの事件発生地において、一人ひとりに出生証書、婚姻証書、死亡証書などが作成される。フランスの家族手帳やドイツの家族簿にも、親族的身分関係が世代をこえて登記される。「戸籍」の観念はない。

 戸籍という言葉自体は日本固有の発明ではなく、古代中国からの輸入語である。しかし、正倉院に保管されている戸籍は、後世の宗門人別改帳や住民基本台帳に継受されている居住地登録の制度であり、明治の戸籍制度とは異なる。

 日本近代の発明である戸籍制度の特徴は、「イエ」単位の身分関係管理と労働市場の発展との両立にある。移動の自由や職業選択の自由は、工業化、都市化、軍事化とともに、明治政府に対する時代の要求であった。

 かくして、居住地と本籍地の完全分離という、世界に比類をみない制度が発明されたのである。東京都千代田区一丁目一番地に本籍を置く「イエ」が続出しても、何の支障もない制度が完成した。英語やフランス語だけでなく、生まれたところや住んだところと無縁な「本籍地」という言葉を過不足なく翻訳できるアジア諸国の言葉がほとんど存在しないのは、このような事情からである。

 

 

中村尚司『人びとのアジア』(岩波書店、1994年)184~185ページ。

 

 

 

 

人びとのアジア―民際学の視座から (岩波新書)

人びとのアジア―民際学の視座から (岩波新書)

 

 

安藤優一郎の文章から

新島八重の維新』より

 

 『日新館童子訓』を通じて、幼少の頃から主君の恩の大切さは頭に叩き込まれているから、決して君恩を忘れることはない。会津藩士とその家族が鶴ヶ城での一ヵ月にわたる籠城戦に耐えられたのも、童子訓の暗誦を通じて醸成された主君に対する忠義心の賜物。三つ子の魂百までということわざもあるように、小さい頃から教え込まれた精神は堅いものである、と八重は晩年に語っている。八重に限らず、童子訓が会津藩士に与えた影響はたいへん大きかった。

 生涯を通じて消えることのなかった会津藩松平家への熱き思いとは、幼少期より培われたものだったのである。

 

 

安藤優一郎『新島八重の維新』(青春出版社、2012年)21ページ。

 

 

 

 

新島八重の維新 (青春新書インテリジェンス)

新島八重の維新 (青春新書インテリジェンス)

 

 

押井守の文章から

『凡人として生きるということ』より

 

 人生は映画みたいなものだ。もちろん失敗も挫折もある。それを避けては通れない。それどころか、失敗や挫折そのものが人生の醍醐味とも言えるのだ。

 何も波乱の起きない退屈な映画を見たいだろうか。エンディングは分からない。ハッピーエンドに終わるとも限らない。でも、どんな結末を迎えるにしても、何もせず、すべてを留保した生き方より、はるかにそれは豊かな人生だといえるだろう。

 

 

押井守凡人として生きるということ』(幻冬舎、2008年)86~87ページ。

 

 

 

 

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

 

 

三島由紀夫の文章から

鏡子の家』より

 

 一般的法則とはなりえない苦悩、一般的な人間存在とは何のかかわりもない苦悩、これこそはブウルジョアが芸術家に於て愛するところのものだ。ブウルジョアがこの苦悩と引き代えに彼らに与える「天才」の称号は、一般的原理から人々の目を外らし、しばしの安息に身を横たえさせてくれる社会的功労賞のようなもので、こんな仕組によって、「芸術はしばし心を慰める」ことができるのである。

 

 

三島由紀夫鏡子の家』(新潮社、1964年)418ページ。

 

 

 

 

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)