自分のやりたいようにやること 第2弾

矢口真里の記事から

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自分のやりたいようにやるの第2弾。今度は矢口真里の記事から。

 

記事は結構長いけど、考えてみたいのは以下の部分。

 

 最近“私服”について悩んでいると話す矢口は、「色々あるんですよ、35歳になると女子は! 花柄のワンピースを着て鏡に立つと、『あれ? おばさん?』って思う」と、今まで普通に着ていた洋服が年齢によって似合わなくなってきたことを語った。

そんな中、お笑いコンビ・さまぁ~ずのスタイリスト・純子のインスタグラムを見ていた矢口は、「純子さんを見て、カジュアルを着こなせる40代になりたいなと思った」と、今日の服装に至るまでの経緯を明かした。

 

他人のやっていることについて、あれこれと批評するのはよろしくない思考だと思う。でも他人のやっていることであっても、「あれ、これいいな、自分もやってみよう」と、気に入ってやってみることなら、OKだと思う。

 

たとえ他人のやったことであっても、流行や大多数の人が良いと言っているからではなく、自分発の考えで自分もやりたいと思って、やろうというのであれば。

 

それをやったことで、ほかの人の共感を得られるものだったとしても、それは結果論。あくまで自分から望んだことをしたまで。

 

そうありたいと思う。

自分のやりたいようにやること

清水宏保のニュースから

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メガネが似合わないとネットで言われていることに対して、清水宏保がブログで反応したというニュース。反応したといっても、言われていることに対して気にしているのかどうかはわからないけれども。

 

メガネが似合うかどうか、という他人の評価については言いません。でも、写真のメガネが自分のメガネと似ているということだけは言える。

 

自分が気に入って、好きで、かっこいいと思ってそのメガネをかけているのなら、それでいい。以上。

 

普段過ごしていると、他人にあーだこーだ言われると気にされがちだけど、自分が好きだったり気に入っていることだったら、な~んにも気にしない。そして自分は満足。これが究極の理想。自分はそうでありたい。

 

だいたい、人の評価、特にこのお話の「似合う、似合わない」なんて言うのは、人それぞれの考えで、正しい正しくないは全く関係がない。

 

そもそも、「メガネは似合うべきだ」ということすら、正しいことなのだろうか。

 

また極端に言えば、自分は満足していなくても、人に似合うと評価されるためだけのメガネを選んだとする。メガネじゃなくても、そんな基準でいつも物事を決めていたら、息苦しくなるだろう。

 

自分のありたい姿を考えるにはよい記事だった。

他人の反応を気にしない精神

所沢市のニュースから

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ジョギング中になぜか、林が燃えているのを発見した人がいたという記事。660平方メートルというと、結構な範囲のように思えます。

 

そんな光景に出くわしたら、まず一体何が起こっているのか、わからないであろう。すぐに「119しなきゃ」というよりまずは、「誰かがいつものようにゴミなどを燃やしているのではないか」と疑問を持つように思う。

 

そこでまたハッと気づく。「でも、ここでゴミなんか燃やしている人はいない」。このあたりをいつもジョギングコースにしているのであれば、そう気づいて「これはヤバいのではないか」と思う。

 

これが自分だとしたら、ジョギングする際には、携帯電話を持っていない。だから、できるだけ早く119をしなきゃとなれば、できるだけ近くの家に駆けよって、「119したいのです」と言うほかない。

 

でも時間は午後10時25分ごろだから、夜も遅い時間。

 

こんな時、見知らぬ人の突然の訪問にびっくりされたりすることを恐れずに、自分は行動できるだろうか。もしかしたら、こんな緊急事態であれば、なりふり構わずでできるかもしれない。

 

これは極端な例だけど、自分のすべきこと、したいこと、正しいと思っている行動に、他人にどう思われようがどう反応されようが構わない精神を身に着けたいと思う。これを、鈍感力を身に着けると言うのかもしれない。

やり切った感について

銀メダルの渡部暁斗から

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前回のオリンピックでは銀メダル。そこから4年間、金メダルを目指してやってきた。そして、それができそうだとも思った。でも、また届かなかった。

 

こうして、大会までの経緯だけを考えれば、悔しくて悔しくて夜も眠れないほどになるだろうと思う。また、この4年間頑張ってきたことは何だったのだろうと、投げやりな気持ちになるかもしれない。

 

でも、そうじゃない。

それはライバル相手へのリスペクトから、正々堂々と勝負できた試合内容からそうなる。

 

王者との戦いを楽しめるのには理由がある。渡部暁は常々「結果だけでなく、フォームのカッコ良さや競技中の戦い方を含めての“キング・オブ・スキー”を目指している」と口にしている。それを体現してみせているのがフレンツェルなのだ。

 

「風が強いから(先頭で)引っ張らないわけにはいかなくて、僕ももちろん引っ張りましたし、彼も同じくらい引っ張りました。そのへんはフェアに戦えたと思います」

(中略)

この日も平昌は風が強かったのだが、そのなかで集団の先頭に立つことは「風よけ」となり、体力の消耗につながる。しかし誰かが引っ張らなければペースが落ちるため、あうんの呼吸で選手同士が先頭を入れ替えながらレースを進めることが多い。

 

「引いて守りに入るレースじゃなくて、ちゃんとフェアな戦いをして、ああやって最後に勝ち切るというところが自分の求めている理想です。僕はそういう選手が好きなので、ずっと後ろに下がって(勝負どころで)ひょいって出た選手が勝つよりは、彼が勝ってくれて良かったなと思います」

 

フレンツェルとは、いつもながら正々堂々と戦えた。

そんな相手フレンツェルに、前回のオリンピックと同様に負けたこと。

逆に言えば、全力でやって負けたのがフレンツェルでよかったとも言っていると思う。

 

「本当は悔しいけど、終わったことは仕方ない」というような、無理やり自分を納得させて結果を認めるのではなく、自然と心から相手を称えられて、自分もやり切った結果に満足すること。

 

そのためには、リスペクトできる相手に、自分も全力を出して、お互い正々堂々と勝負ができたこと。自分としては、この経過が必須だろうと思う。

 

勝負事でこういう相手を持てることは幸せだと思う。

また、自分がスポーツが好きな理由の一つは、こうした理想を疑似体験できるからかなとも思う。

心からの感謝の気持ち

サンドウィッチマンのお話から

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「残念」とあると何かよろしくないお話のように感じてしまうけれども、伝えたいことはそうではなく、心の底からありがたく感じていることに対して、「残念」という表現が出てしまったお話のように思う。

 

サンドウィッチマンが東北を支援する活動をしているのは知っていた。要は言いたいことは、「自分たちの力だけで義援金を寄付しているのではないよ。いろいろな人からの支援で集まったお金を寄付しているのだよ。4億円も。そこのところをきちんとわかってほしいんだよね」ということ。

 

これ、心から感謝している気持ちが出ている良い例のお話だと思うし、自分も、サンドウィッチマンの立場ならこういう風に、心からの感謝が出るかなと。

 

もちろん、人によっては戦略的に、この現状を利用して「私は4億円を寄付した〇〇です」というように、自分中心に名前を売る方法もあると思う。でも、サンドウィッチマンのように、本当に真摯に支援を行いたいと思っているのなら、このような戦略的な方法はできるはずもない。

 

真剣に支援しているお話は、ニュースやテレビなどでたまに見ているし、素直に「ありがとうございます」とは言っていないあたりが余計に、「本当は皆様のおかげなんです。ありがとうございます」と言っているように聞こえます。

 

 

自分について分析するためにやること

精神的に参ってしまわないために

人とは他人を評価するのではなく、自分を評価するもの

毎日、自分に質問する形で書く

 

【注意点】

良い、悪いではない

正しい、正しくないではない

 

【方法例】

立場を丸ごと入れ替えて考える

「~が嫌い」と言った場合は

 →どこが?

 →どうしたい?