柘植久慶の文章から

『歴史を動かした「独裁者」 「強大な権力」はいかに生まれ、いかに崩壊したか』より

 

 アントニウスはオクタウィウスの姉ーーオクタウィアを妻にしていたが、その離婚によって亀裂が決定的なものとなった。すなわちアントニウスがエジプト女王クレオパトラに籠絡され、妻と同時にローマを捨てたからであった。

 紀元前三一年のアクティウムの海戦は、両国の艦隊が互角に戦っていたものの、途中でクレオパトラの軍船が戦場を離脱、続いてアントニウスも彼女を追ったため、エジプト艦隊が総崩れになったのである。

 

 

柘植久慶『歴史を動かした「独裁者」 「強大な権力」はいかに生まれ、いかに崩壊したか』(PHP研究所、2003年)40ページ。

 

 

 

 

 

養老孟司・竹村公太郎の文章から

『本質を見抜く力ーー環境・食料・エネルギー』より

 

竹村 文明を持続していくには国土保全が必要です。その国土保全環境保全に通じます。きれいごとの環境保全ではなく生きるか死ぬかの環境保全なのです。

養老 我々の生活の問題ですね、これは。環境問題は「保護はするが利用はしない」ということが前提になっています。いわゆる環境派は人間が手をつけないほどいいという考えなのです。そうではありません。人間と自然とには行ったり来たりの関係があるのです。自然を保全しながら手をつけていくということを、みんなでやり直さないといけません。江戸時代にはそれをずっとやっていたわけだから。

 

 

養老孟司・竹村公太郎『本質を見抜く力ーー環境・食料・エネルギー』(PHP研究所、2008年)153ページ。

 

 

 

 

本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546)

本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546)

 

 

近正宏光の文章から

『コメの嘘と真実 新規就農者が見た、とんでもない世界!』より

 

「日本の食料自給率が下がってしまう」

 この主張は農林水産省が発表した「食料自給率39%(平成23年度)」という数値が拠り所となっています。

 そもそも、食料自給率の算出法には「カロリーベース」と「生産額ベース」があり、世界の主流は生産額ベースによるものです。

 しかしなぜか日本だけは世界的にも珍しいカロリーベースの算出法を公式に採用しています。

 ご存じの方も多いと思いますが、一応ここでカロリーベースと生産額ベースの違いを説明しておきましょう。

 カロリーベースとは「国民1人1日当たりの国内生産カロリー÷国民1人1日当たりの供給カロリー」で導き出されています。

 (中略)

 もう一方の生産額ベースは、食物の価格がキーになっています。国内で消費される額のどのくらいを国内で作っているか。それを「国内の食料総生産額÷国内で消費する食料の総生産額」で割り出しています。

 

 農水省が公式に発表しているのは前者のカロリーベースによるもので、先述したように日本の食料自給率は39%とされています。

 ところが生産額ベースでの食料自給率は66%にもなり、カロリーベースと比べるとかなりの開きがあります。

 牧畜の盛んなアメリア(ママ)やオーストラリアのように、高カロリーの農産物が多ければカロリーベースによる食料自給率が必然的に高くなります。

 ところが日本はアメリカやオーストラリアほど牧畜が盛んではありません。さらに肉牛や鶏卵にしても、輸入飼料によって生産されたものは自給とみなされないのです。野菜やコメの生産の多い日本の自給率をカロリーベースで見れば、どうしたって低くなってしまう理由がここにあります。

 

 

近正宏光『コメの嘘と真実 新規就農者が見た、とんでもない世界!』(角川マガジンズ、2013年)54~56ページ。

 

 

 

 

 

谷崎潤一郎の文章から

痴人の愛』より

 

とにかく今までのナオミには、いくら拭っても拭いきれない過去の汚点がその肉体には滲み着いていた。然るに今夜のナオミを見るとそれらの汚点は天使のような純白な肌に消されてしまって、思い出すさえ忌まわしいような気がしたものが、今はあべこべに、その指先に触れるだけでも勿体ないような感じがする。―――これは一体夢でしょうか? そうでなければナオミはどうして、何処からそんな魔法を授かり、妖術を覚えて来たのでしょうか?

 

 

谷崎潤一郎痴人の愛』(新潮社、1947年)336ページ。

 

 

 

 

痴人の愛 (新潮文庫)

痴人の愛 (新潮文庫)

 

 

山村竜也の文章から

『本当はもっと面白い新選組』より

 

ーー山村さんは、新選組にとっては敵になる坂本龍馬もお好きなようですが、そのあたりは矛盾しないのですか?

山村 まったく矛盾しません。確かに新選組が守る徳川幕府坂本龍馬は倒そうとしたわけですが、幕府に政治をまかせておいては日本がだめになると判断してのことです。私利私欲で動いたのではありません。それに龍馬はできるだけ武力に訴えることを避け、穏便な形での政権移譲を考えていた。そのあたりが、ほかの尊王の志士たちとはひと味もふた味も違うところですね。

ーー結果的にはそのために幕府が消滅し、新選組も崩壊してしまいますが…。

山村 それは仕方ありません。一方は幕府のために尽くし、一方は幕府を倒すために尽くした。どちらが正しいということはないんですよ。人はみな自分が正しいと思ったことのために命をかける。つまり正義というのは普遍的なものではなくて、それぞれが自分のなかだけに持っているものということになるんですね。龍馬も新選組も、その意味で自らの正義のために尽くした立派な男たちでした。私にとっては、どちらも同じくらい魅力的な存在なんです。

 

 

山村竜也『本当はもっと面白い新選組』(祥伝社、2008年)263~264ページ。

 

 

 

 

本当はもっと面白い新選組 (祥伝社黄金文庫)

本当はもっと面白い新選組 (祥伝社黄金文庫)

 

 

田中均の文章から

『日本外交の挑戦』より

 

  基本的に、政府広報と日本の対外発信を同一視してはならないと思う。通常、政府は政府の施策について権威を持った形で対外的に発信する。日本の場合、これは政府のスポークスマンとして官房長官が一義的に、それに加え、官房長官外務大臣の権威の下で官僚が詳細を述べるという形で行われてきている。海外では当然のことながら、大使や館員が日本の政策について任国で発信を行わなければならない。

 中国のように、共産党一党独裁の下では、ほとんどの場合に政府が直接発信するのみならず学者なども対外発信は共産党の見解の発信であることが多く、文字通り一つのボイスである。しかし、米国や欧州や日本のような先進民主主義国における対外発信は、多様な意見の発信であり、政府の方針だけが対外発信の中身でありうるわけがない。それをあたかも日本が政府の方針に沿って一つのボイスで発信するという色彩が強くなればなるほど、それは共産主義国家のようなプロパガンダではないか、ということになり、あまり信頼性がなくなる。

 政府が資金を提供し、政府が直接相手国国民に語りかける、あるいは、有識者を通じて政府の方針を語りかけさせる、といったことは慎重たるべきだろう。むしろ先に述べたように発信能力のある有識者を数多く育て、国内の議論を活性化し諸外国との自由な意見交換を通じて日本の考え方の合理性を解らしめる努力をするほうが、よほど効果があるのだと思う。

 

 

田中均『日本外交の挑戦』(KADOKAWA、2015年)210~211ページ。

 

 

 

 

日本外交の挑戦 (角川新書)

日本外交の挑戦 (角川新書)

 

 

赤根祥道の文章から

『鈴木正三・石田梅岩渋沢栄一に学ぶ不易の人生法則』より

 

人には勇気がなくては何事も成就しないことを申し聞かせておかなくてはなりません。その勇気というのは人に対してすべてに勝ち、勝つことを楽しむという心を云うのではありません。これは匹夫の勇と云うべきものです。人として真実の勇気というのは、人に負けることを堪え忍ぶこと、こらえ忍ぶことを大勇を行うと云うのです。

※猫一郎注:引用文献中の石田梅岩の意訳文より

※匹夫の勇:深く考えることもなく、やたらにむちゃくちゃな行動をしたがるだけの勇気(新明解国語辞典第五版)

 

 

赤根祥道『鈴木正三・石田梅岩渋沢栄一に学ぶ不易の人生法則』(PHP研究所、2000年)213ページ。

 

 

 

 

鈴木正三・石田梅岩・渋沢栄一に学ぶ不易の人生法則 (PHP文庫)

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